今回は『声量の必要性』について。
*ここでの「声量」とは、『声の音量』という意味で話を進めます。
歌に声量は必要か
歌(ポップス)において、基本的に
- 声量は絶対に必要なものではない(=なくてもいい)
と考えるべきかと。
その理由はマイク(音をデータに変換する機械)があるからです。
そもそも、『声量がある』=「優」はジャンル次第?
『音楽のジャンル』によって、”声量があるという価値”はある程度変動すると思われます。
例えば、クラシック音楽は『声量=優』の要素が強いでしょう。
これは、前提が『マイクなしの歌唱方法』だからですね(*近年はマイクを使うことも普通にあるでしょうが、前提はあくまでマイクなしの歌唱方法)。
その身一つで会場に声を響かせなければいけないのですから、必然的に声量がある方が聴く側も『魅力を感じやすい=必要』というのは、当然です↓
逆に、ポップスはマイクを使うので、本質的には”声量なんてあってもなくてもいい”。
どれだけささやこうが、発声の質の良さと音響次第で綺麗に響き渡ります↓
声量はマイクを越えない
マイクというものは、あくまで『音声を音のデータに変換するもの』ですね。
そして、多くの人が聞いている『歌声』はマイクを通った音声です。
*マイクの後にも色々な機械を通りますが、ここでは多くを省略して簡単に『マイク』と表現します。
ここで重要なのは、データに変換された音の音量はいくらでもコントロールできるということ。
『生歌』の”声量”がすごく小さかったとしても、『マイク』で調節すれば『歌声』の”音量”は大きくなります↓
*()内の音量はあくまで例です。
逆に、『生歌』でいくら大きな”声量”を出そうが、『マイク』の設定を絞れば歌声の”音量”は大きくなりません。
このように、声を音声データに変換する以上は『音声データ側の設定の方が重要』ということになります。
ということは、”声量による”優劣はマイクありの歌唱においては存在しないとも言えます。
ただし、『熱量』の差は出る
声量は『音量』に関わることはないのですが、『熱量』には関係しています。
これはどちらが良い悪いなどの優劣はないのですが、
- 声量そのものがある方が熱量が高い
- 声量そのものがない方が熱量が低い
という印象を生み出します。
熱量が高い発声↓
熱量が低い発声↓
このように、声量は歌声の温度感を作っています。
この辺りはジャンルや好みなど個人個人の必要性によって違うでしょうから、それに応じて考えればいいと思います。
一つ言えるのは『声量はあってもなくてもどちらも良い』ということ。
声量よりも「声の通り」が重要
おそらくこの部分が、この記事の一番重要なポイントになるのですが、
- 声量に関わらず、マイクによく通る声質と通らない声質がある
ということです。
ここで大事なのは、『声の通り』は『声量』と比例するとは限らことです。
要するに、
- 声量は大きいがマイクに通らない声質
- 声量は小さいがマイクによく通る声質
というものが存在するということです。
例えば、クラシックでは一般的には見慣れないマイクが使われていますね↓
これは、声量が大きすぎるがゆえに、一般的なダイナミックマイク(普通のマイク)には上手く声が通らないから。普通のマイクを使うと、歌声の魅力が半減してしまうのですね。
なので、より集音範囲の広いマイクを使う必要がある。
逆にポップスであれば、声量そのものが小さくても、マイクへの声の通りがよければいい歌声を届けることができます。
ポップスは、声量に関わらず声はマイクによく通るかどうかが重要なのですね。
しかし、「小さな声ではマイクに通らない」という問題を抱えている人もいるでしょう。
これは、声量とは別問題なのですね。
というのも、マイクによく通る発声というものにはある程度の共通点があります。
それは、
- 声帯を通過する『息の流れ』による倍音成分が多い
- 言い換えると『息がたくさん流れている』
ということです。
基本的に、息がたくさん流れている発声ほどマイクにものすごくよく通ります(*あくまで「基本的に」)。
なので、単に大きな声を出せばいいというものでもないのですね。
もちろん、声量もあってマイクによく通る発声をするシンガーもたくさんいます。
これは、シンプルに大きな声量の発声を出しているわけではなく、マイクによく通る発声のまま声量を上げているのですね。
とにかく、ポップスの発声は、
- マイクという機械を使う以上、『いかにマイクに声を通すか』『マイクによく通るという意味での声量』が重要であり、『生歌の声量』は必要ない(重要ではない)
というのが真理でしょう。
ある意味、『マイクによく通る声=真の意味で声量がある』と言ってもいいのかもしれません。