今回はプロのシンガーの発声と一般人の発声の違いについて。
違いとは言っても
- 一番重要な『核心部分』について
というのが主な研究テーマです。
もちろん、一言で『プロ』『一般人』とは言っても色々な人がいるのでその全てを考慮すると「一概には言えない、終了。」となってしまうので、あくまでも傾向のお話です。
プロの発声と一般人の歌声の違いの『核心部分』は?
歌声の違いの『重要な核心部分』の話をする前に、まずはこちらの動画で
- 歌が上手い人(シンガー)
- そうでもない人(シンガーではない人)
の違いを確認・考察してみましょう(*再生位置〜。イヤホンなどがわかりやすいかも)↓
悪く言うつもりは一切ないですが、ダンサーたちはやはりダンサー。マイケルの発している歌声とはまるで音色が違うことがわかると思います。
こちらは1対1なのでもっとわかりやすいかも(*再生位置〜)↓
バンドメンバーもコーラスしたりしますし、楽器に精通しているので、一般的には上手い方に分類されるかもしれませんが、やはりメインボーカルは音色の次元が違いますね。
その差は何なのか?
二つの動画から皆さんそれぞれ色々なことを考えたと思います。
もちろん正解はたくさんあります。
特に多そうな答えは、
- 「共鳴」「響き」の違い
でしょうか。
それも間違ってはないですし、むしろ大正解なのですが、実は共鳴の前にほぼ勝負はついている(*後ほど説明します)。
つまり、『核心』の部分ではない。
もっと重要な部分、プロと一般人の歌声の違いの核の部分は
- 声帯が作り出す音色の『倍音(質)』の差
でしょう。
はい、出てました、倍音。
この言葉が出てくると頭がこんがらがる人もいるかもしれませんが、「倍音」とは「綺麗な音色の成分」「心地よい音色の成分」と言い換えれば考えやすいと思いますし、『良い声質の成分=発声の質』と考えてもいいと思います。
簡単に言えば、プロのシンガーはいい音色の成分が多く含まれる声を発している。
つまり、歌声の中に含まれる「綺麗な音色の成分の差」が違いを生み出す『核』の部分です。
「倍音・綺麗な成分って具体的にどんなの?」と気になる人はこちらで(*多重影分身している天才は置いておいて、女性(YEBBA)の歌声に耳を傾けてください)↓
その歌声の中に「息が綺麗に流れるような音」「スーー」という音の成分がたくさんあるのがわかると思います。
簡単に言ってしまえば、『たくさん息が流れる』。
それ(息の流れ)が綺麗な成分、歌声における倍音の正体の一つの答えです(*あくまで一つの答えですが、最大の答え)。
これがマイクにも美しく乗るのですね(*再生位置あたりからがわかりやすいかと)↓
いわゆる非整数次倍音を重要視するポップス歌唱における正解の道の一つ。
これがわかると、先ほどのマイケルも玉置さんも同じように息がしっかりと流れているのがわかるはずです(玉置さんの動画の18:19〜とか息がすごく流れているのがわかりやすいです。)
つまり『綺麗な歌声はしっかりと息が流れる』のですが、一般人が息をたくさん流しても同じような音色にならないのは『息と声帯の連動性』がないという理由によって起こります。
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声の『倍音』の出し方について【意識するべきは「息」と「声帯の鳴り」】
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なぜ、倍音が『核』なのか?
先ほどの動画を見て、「共鳴の違い」以外にも「ピッチがいい」「リズムがいい」などなど色々思ったことがあったと思います。
実はそれらすべてが「倍音」を追い求めると”高いレベル”で手に入るというのが歌(ポップス歌唱)の面白いところです(*逆を言えば、「倍音」を無視するといつまでもたどり着けない境地があるということ)。
どういうことか?
簡単に表現するならば、
- 『倍音を多くする』=発声の質を良くする
- 発声の質を良くする=ピッチやリズムが高いレベルで良くなる
- ピッチやリズムが高いレベルで良くなる=『歌が上手くなる』
よって、
- 『倍音を多くする』=『歌が上手くなる』
になるということです。
これの面白いところは、2番目の『発声の質を良くする=ピッチやリズムが高いレベルで良くなる』という部分でしょう。
- 「ピッチ感やリズム感がいい→発声の質がいい」ではなく、「発声の質がいい人→ピッチやリズムがいい」という因果関係
普通に考えると歌のピッチやリズムは『音感・リズム感』というような”音楽的感性”が重要なように思えますよね。
もちろんそうなのですがそれは50%くらいで、残り50%を『発声の質』が握っている(*しかも高度な方の50%)。
なのでわかりやすく言えば、
- 『音感・リズム感』はざっくりとしたピッチやリズムに重要(初級・中級者に必要)
- 『発声の質』は細かいピッチやリズムに重要(上級者に必要)
という感じかと。
これによって例えば、
- 高いレベルの発声の質を持っている声優やものまね芸人は歌が上手い
- 高いレベルの音感やリズム感を持っているピアニストやヴァイオリニストなどの音楽家が意外と歌があまり上手くなかったりする
などの傾向が生まれます(*あくまでも傾向)。
「頭でわかっていても体が動かないと意味がない」みたいな感じです。
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歌に必要な能力を紐解く【音楽的感性×発声能力】
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なぜ「共鳴」は核ではない?
先ほど言った『共鳴の前に勝負はついている』という内容。
要は、
- 「共鳴はあくまで音色の増幅という役割なので、増幅する音色そのものの質が良くないとダメだ」
ということです。
図のように声には4つの要素があり、一瞬の出来事ではありますが、このように順番が決まっています(*「発音」はここでは関係ないので除きます。)
つまり、(①+②)の段階でいい音色を作れていないと、どう共鳴させても意味がない。
- 声=(息+声帯)×共鳴
なのです。
例えばもし、共鳴腔が歌声の良し悪しの根本に関わるのなら、共鳴腔(頭蓋骨・骨格)がそもそも小さい子供は美しい発声ができないという理屈になりますが、美しい歌声の子供は世界中にいますね↓
つまり、上手いシンガーたちは共鳴が「広い」とか「狭い」とか「どう共鳴させるか」以前に、音色の部分(息+声帯)が最高品質なので、どう共鳴させても美しい。
逆に、作られた音色がいいものではない場合、どう共鳴させても悪い音色が増幅されるだけです。
つまり、「共鳴が違うんだ。共鳴が大事なんだ!」と思って、共鳴そのものに焦点を当てて試行錯誤してもほぼ意味がないのですね(*ただし、全くないことはない。長期継続することで「共鳴を邪魔しない声帯の柔軟性」につながることはある)。
『どう共鳴させるか』ではなく、『どんな音色を共鳴させるか』が本質をついている。
プロと一般人で「倍音」が”どう違う”のか
具体的に、プロと一般人で”倍音がどう違うのか”という部分も考えておくことが大事でしょう。
単純に言えば、
- 『プロは倍音が多い・一般人は倍音が少ない』
と言える。
これで特に問題ないですし、実際そうです。
なのですが、もっと厳密には
- プロは倍音を低音域から高音域まで美しく保てる
- 一般人は(歌が苦手な人ほど)音程のために倍音を犠牲にしている
という考え方が正確なように思えます↓
歌が苦手な人は上記の図のように『倍音を多く保てる(魅力的に鳴らせる)範囲が非常に狭い』と考えるのが正解かと個人的には思っています。
逆に言えば、『どんな人でも魅力的に鳴らせる範囲が多少なりある』とも言えます(*人によっては現状1〜2音くらいしかないなんてこともあるかもしれません)。
なぜその範囲が狭いのかと言うと、”音程をコントロールするため”に倍音を消失している(犠牲にしている)からと考えられます。
この『音程をコントロールするために』という考え方が非常に大事で、結局これって「声帯が真に柔軟じゃない」と言い換えられます。
つまり、
- 声帯が柔軟じゃない→音程を自在にコントロールできない→頑張って音程をコントロールする→倍音が消失してしまう
という感じ。
*本人に頑張っているつもりや意識がなくても、仮に高い声が楽に出せていたとしても、いい音色になっていない以上は音程のために犠牲にしているものがあるので柔軟じゃないと言える可能性があります。
歌が上手い人は、
- 声帯が柔軟→音程を自在にコントロールできる→倍音を保ったまま音階をコントロールできる
ということですね。
ということは、実は誰もが多少なりあるであろう「魅力的に鳴らせる範囲」という部分を押し広げていくことが「歌が上手くなること」とも考えられる。
つまり、『まずは自分の発声の最も倍音が保てる位置を見つけて、それを維持したまま押し広げようとする練習こそプロの発声を手にいれることにつながる』。
これが声の楽器化への道ですね。
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