今回は「歌う時どこに力を入れるのか?どこの力を抜くのか?」という問題についての研究です。
この記事は
- 歌う時の力を入れる場所・力を抜く場所は人それぞれ違う
- 自分に適した力の入れ方・力の抜き方を見つける必要がある
- 最終的に目指すべきは「力を入れ方・抜き方」を考えなくてもいいレベルではないか
という内容です。
目次
歌う時力を入れる場所・力を抜く場所は人それぞれ
「歌う時どこに力を入れればいいのか?どこの力を抜いて入ればいいのか?」というのは、よくある問題でしょうが、この問題は究極的には『あまり気にしない方がいい』『考えすぎない方がいい』『人それぞれ違う』というのが、核心をついた答えだろうと考えられます。
その理由は、
- ある動作に関する意識や感覚は、人それぞれ違うから
- 人には『意識できる動作』と『無意識に行われる動作』があり、人に伝えられるのは『意識できる動作』だけだから
- 体(喉)のレベルによって力の入れ方・力の抜き方が変わるから
- 最終的には「どこかに力を入れる」などを考えないで、『そうしようとしてそうなる』というところを目指すべきだから
だと考えられます。
人それぞれ意識や感覚は違う
歌う時に力を入れる場所や力を抜く場所については、様々なことが語られます。
- お腹や丹田に力を入れなさい
- お尻を引き締めなさい
- 背筋を使うように
- 喉やアゴは力を抜いて
などなど、こういうものは無限にありますね。
これらはある人にとっては正解かもしれないし、ある人にとっては不正解かもしれないようなものと言えるでしょう。
その理由は、『人それぞれ体が違うから』です。
もちろん、人間という括りで考えると大枠同じですが、人それぞれ顔が違うように体の作り(骨格・喉・声帯・歯・アゴなどなど)も微妙に違います。
当然ある動作に対する意識や感覚も、完全に同じにはなるはずがない。
これはスポーツでも同じようなことが言えるでしょうが、それと同じようなことは歌でも起こるということですね。
「意識できる動作」と「意識できていない動作」
また、人には「意識して行っている動作」と「無意識に行われている動作」があります。
例えば、
多くの人は、自転車に乗るときに『前に進もうとして前に進む』と思います。このときに「右足がこうで左足がこうで、右手がこうで左手がこう、頭と体の向きはこう」のように考える人はほぼいないはず。ただ、「自転車をこぐ」という動作を、無意識に行っているはず。
これは無意識のうちに、「自転車で前に進むための動作」を体が実行していると言えますね。
なので、「自転車に乗る時の具体的動作を的確に教えて!」「自転車に乗るときにどこに力を入れて、どこに力を抜くの?」と問われても、多くの人は説明に困ると思います。
つまり、人間は無意識に行われている動作をあえて言語化して説明するのは難しい。
これと同じようなことが、「高い声を出すときに力を入れる場所を説明して!」と言われた場合も起こります。
高い声が出せる人は、「そんなこと言われても、出そうとしたら出るんだよ。ただ、あえて言えば〇〇」のように、その人が意識できているものだけが語られます。
しかし、重要なポイントは言語化できていないところ(意識できていないところ)にも存在するはずです。
結局この人は、嘘を言っているわけではないのですが、要点を全て捉えているわけではないので、語られる部分だけを他人が真似しても、上手くいかないことの方が多くなるのではないかと考えられます。
体(喉)のレベルによって力の入れ具合は変わる
例えば、「歌う時に〇〇に力を入れると高音が出ます」という教えがあったとして、その通りに実行しても「理想の高音が出た!」となる人なんて、ほとんどいないのではないかと思います。
これは『体(喉)のレベルが違うので、その場所に力を入れてもどうにもならない』という現象ですね。
ベンチプレス50kgしか上げられない人に「100kg上げる時のコツはこうだよ」と言ってるみたいなものです。
要は『力を入れる場所がどうこう以前の問題』『そもそも能力が足りない』というやつですね。
力の抜き方においても同じことが言えるはず。
例えば、剣道で竹刀を振る時、野球でバッドを振る時など、「力を抜け」「力はいらない」という教えがあります。
この教え自体は真理に近いのでしょうが、初心者がこの教え通りに実行して上手くいくかというと、そうでもないのではないでしょうか。
これは、何度も何度も振るという訓練を経てたどり着くポイントと言いましょうか、体が「竹刀を振る」「バッドを振る」という動作に最適化された人が、辿り着ける境地なのだと思います。
つまり、力の入れ方においても力の抜き方においても、
- その能力があるからが成立する
- その能力がなければ成立しない
ということ。
よって、能力の違いによっても力の入れ方や抜き方は変化すると考えられる。
目的から逆算して考えたものが答えになるだろう
上記のような、
- 体・感覚の個人差
- 意識と無意識
- 体のレベルによる差
などと考えると、『歌う時の力を入れる場所・力を抜く場所において”正しい〜”のようなものは存在しない。もしくは、無限にある』という風に考えることができると思います。
つまり、行き着くところの答えは、
- 歌う時に「力を入れる場所」と「力を抜く場所」は人それぞれ違い、一般的に語られるものでは不十分なので、最終的に自分に合うものを自分で見つける必要がある
というものになるでしょう。
もちろん、ある教えが運よく自分にピッタリ当てはまる可能性もあります。
しかし、ハマらない可能性も同じくらいにあるはず。
ココがポイント
一個一個の色々な教えを、試しては取っ替えてというのを繰り返すくらいなら、自分で試行錯誤して、自分の最適を探す方が遠回りなようで近道なのではないかと思われます。
自分の体(喉)は、『ここに力を入れるとこうなる』『ここの力を抜くとこうなる』『ここに力が入ってしまうのは、能力が足りないからなのか?』などを一つ一つ検証していくことで、自分にとって最適な力を入れる場所・力を抜く場所を見つけられるのではないかと。
また、この時『声の出口(目的)から考える』ことは大事だろうと考えられます。
要は先に「力の入れ方や抜き方」を考えない。
- 「ここの力を入れたらどんな声になるかな?」
ではなく、
- 「この声を出すためにはどういう力が必要かな?どういう力が邪魔かな?」
という風に目的から逆算して考えるといいのではないかと。
最終的に「どこに力を入れる、どこの力を抜く」と考えなくなることが大事だろう
歌も運動なので、『力』を考えることは大切なのですが、最終的には「力を入れる場所」や「力を抜く場所」なんて考えないでいられる状態を目指すべきではないかと考えられます。
これは、多くのシンガーを観察していればなんとなく感じるでしょうが、シンガーたちは「高音を出そうとして高音を出す」「声量を出そうとして声量を出す」という行動をしているはずです。
要するに、
- 「高音を出そう」→「〇〇の力を抜いて、△△に力を入れよう」→高音が出る
の真ん中の部分がない(*全くないわけではないでしょうが、意識の片隅にある程度でしょう)。
つまりこの部分は、最終的には考えなくてもいいレベルまでもっていかなければいけないと考えられます。
例えば、誰もが幼い頃「自転車に上手く乗れなかった」「文字をすらすらと書けなかった」などの時期があるはず。そして、その訓練をしている最中はあまり記憶にはないかもしれませんが、おそらく色々なことを考えていたでしょう。
ところが、成長するとほとんどの人は、
- 「自転車に乗ろうとして自転車に乗る」
- 「文字を書こうとして文字を書く」
のように、何も考えずにその動作がスムーズにできるようになっています。
これは多くの経験・訓練によって、そのレベルに達したと言えるのでしょう。
これと同じイメージで、歌も『色々なことを考えてできる』というレベルから、『そうしようとしてそうなる』というレベルに行くことが最終目標となるでしょう。
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