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歌の雑学・研究・考察

高い声を出す感覚についての問題【結局、感覚を探る必要はない】

投稿日:2021年6月30日 更新日:

今回は高い声を出すときの感覚についての内容です。

 

おそらく「発声の感覚」において、気になることが最も多いのが高音発声だと思います。その正解の感覚を理解できれば、自分の道しるべにもなりますからね。

 

しかし、この問題は、

  • 高い声が出せる人は、難しい意識や感覚で出しているわけではない
  • 高い声が出せない人は、どんな意識や感覚を持とうとも、能力がないので高い声は出せない
  • 能力が高まると、感覚を失っていく

という点から、『高い声を出すときの感覚は、探らなくていい』という矛盾したような答えが、芯を食ったものになるかと思います。

高い声が出せる人は高い声を出そうとして高い声が出る

高い声が出せない人は、「どうすれば高い声が出せるのだろう?」「鼻は?口の開きは?舌の位置は?共鳴は?声帯は?」などなど、色々な細かい疑問が浮かんでくることがあるでしょう。

 

もちろん、それは決して悪いことではないのですが、実はあまり意味をなさないことが多いでしょう。

 

なぜなら、高い声を出せる人にとってはそんなに難しく考えるものではないからです。

 

つまり、

  • 高い声が出せる人の多くは、そこまで複雑な意識・感覚で高い声を出しておらず、単に「高い声を出そう」として高い声を出している

と言えることが多いです。

そして、自分の声の限界を自分で察知して、高い音になると、なんとかそこに届かせようと、声を置きに行く。つまり、そこに届きたいがために、逃げ延びたような歌になるのです。

逆ですよね。意外に、出るものなんです。声というのは。

例えば、遠くにいる人を呼ぶとき、「おーーーい!」と、手を振りながら声を出します。やってみてください。

いや、違う。「おーーーい!!」です。

ほら?お腹から、声が出ていて、やけに安定してませんか? このとき、すでに腹式呼吸に入っています。この、「おーーーい!!」で、歌えば良いんです。後は、それを使うところと、使わなくても良いところを、自分が知れば良い。これだけで、すでに70%くらい歌が上手くなっているはずです。

引用元:ASKA_burnishstone’s diary

このように、プロのシンガーたちは、簡単な感覚や意識で歌を歌っていると語ることが多い。

なので、細かい感覚などを難しく考える必要はないのです。

 

しかし、このページに来てくださった皆さんは、「そんなに簡単にできないよ」「それでできたら苦労はしないよ」と考えるでしょう。

 

その考えはある意味答えに近く、結局『能力によって感覚は変わる』ということが、感覚の問題の本質です。

 

つまり、高い声が出せる能力がある人は、例えば

  • すごく遠くにいる人に「おーい!」と呼びかける感覚
  • スポーツ観戦で大喜びして「やったー!「よっしゃー!」と言った時の感覚

などのような簡単な意識や感覚で出せるが、高い声を出す能力がない人は、その感覚や意識を真似したところで、できません。

 

さらに言えば、仮に詳細に説明してくれたとしても、それを真似したところで、高い声は出せません。

 

例えば、

  • 鼻の方に声を当てる感覚
  • 声帯は力を入れすぎないが、程よく力を入れる
  • 息の勢いを強くつける
  • 舌は上がりすぎず、自然な位置で
  • アゴは無理なくしっかり開く

*あくまでも一例

などのように具体的な感覚の答えがあったとしても、これを真似することで出せるようになるというわけではないのですね。

 

この『能力の差』と『感覚』の関係性は、開脚ストレッチのようなものだと考えるとわかりやすいと思います。

 

開脚で180度開ける人は、何も考えずに足を開けば180度開くことができますが、90度しか開けない人は、どんなに特別な感覚や意識を持っていても、現状ではどうにもなりません。

高い声が出せる人と出せない人のイメージ

*ただし、人それぞれ持っている声帯によって魅力的な高音域の限界は違います。なので、上記図の「能力がある」「能力がない」とは”その人の声帯のポテンシャル”が最大限活かされているかどうかと考えましょう。

 

つまり、高い声が出せない人(声帯の能力が低い人)は「どんな感覚で高い声を出すのだろう?」と考えたところで、あまり意味はないのです。

 

問題の本質は「能力」の問題で、「意識」や「感覚」でどうにかなるようなものではないのですね。

 

能力が高まると感覚を失う

ある意味、能力の成長とは『複雑な意識や感覚を失くしていくもの』だとも言えるのかもしれません。

 

例えば、多くの人は自転車に乗れると思いますが、自転車に乗るときに何か特別な意識や感覚を持ってはいないはずです。

単に「目的地に向かう」という意識のみでスイスイ漕いで乗りこなしているはず。ですが、幼い頃に自転車に乗る練習をした時はそうではなかったはずです。

 

つまりこれは、何も意識しなくても自転車に乗れる能力が身についているということですね。

 

音楽で言えば、楽器などではこういうことを実感しやすいです。

  • 「最初は両手でピアノを弾くのが大変だったのに、いつの間にか無意識にスラスラ弾けるようになった」
  • 「ギターのコードが最初はすんなり切り替えられなかったが、今では何も考えずに切り替えられる」

などのように、人はできなかったことが簡単にできるようになると、その感覚や意識が薄れて、無意識に近くなっていくということです。

 

そして、

歌においても同じようなことが言えます。

 

例えば、ほとんどの人は「自転車に乗る感覚って、どんな感覚?」と尋ねられても、答えに困ると思います。

 

同じように「高い声を出す感覚って、どんな感覚?」と質問しても、能力があるシンガーたちは答えに困るのですね。

 

もちろん、無意識にできることが多い分だけ、次のレベルのことに意識を向ける必要が出てくるため、結局は歌の中で何らかの感覚・意識を持つことにはなるでしょうが、高い声を出すことだけに割く意識・感覚はあまりないでしょう。

 

例えば、何も意識せずに楽に「あーー」と発声します。次に、その声から自分のできる限りの低い声を出そうとしてみてください。この時、あまり特別な感覚を持たずに「低い声を出そう」という意識のみで出せたと思います。

これと同じ感覚が高音で起こっていると考えればいいのですね。

 

とにかく、能力が向上すると特別な感覚や意識が薄れて、より簡単にできるようになるのが人間です。

 

つまり、「高い声を出す感覚とは?」に対する答えは、『高い声を出すための特別な感覚がなくなること』という矛盾した回答こそが真の答えになるとも言えます。

 

【まとめ】感覚を探るのではなく、能力を上げることが大事

これまでの内容をまとめると、

  • 高い声が出せる人は、難しい意識や感覚で出しているわけではない
  • 高い声が出せない人は、どんな意識や感覚を持とうとも、能力がないので高い声は出せない
  • 能力が高まると、感覚を失っていく

というものになるので、感覚のことなんて深く考えなくていいのです。

 

感覚を探っている暇があったら、とにかく高い声を出す能力を鍛えることを考えた方がいいということ。

高い声を出すためには、とにかくコツコツと鍛えるしかないです。

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