今回は、歌において「腹式呼吸は必要なのか?」についての研究考察です。
おそらく、腹式呼吸に関しては、
- 腹式呼吸は歌に必要だ
- 腹式呼吸は歌に必要ない
という両論を目にしたことがあると思いますが、実はこの二つはどちらか一方が正解で、どちらか一方が不正解という簡単な構造で語れるものではないでしょう。
つまり、『条件次第・状況次第でその必要性は変わるもの』だと考えられます。
その結論から簡単に述べておくと、
- マイクを使うポップスなどでは、腹式呼吸はそこまで深く考える必要がないことが多い
- クラシックなどの声楽においては、深く考えることでメリットになる可能性が高い
- どちらにしても、『息の能力を鍛える』『息と声を連動させる』など”トレーニング目的”であれば、腹式呼吸を意識することがメリットになる
と考えられます。
目次
腹式呼吸とは
腹式呼吸の必要性を考えるためには、”腹式呼吸の定義”について整理しておく必要があります。
腹式呼吸(ふくしきこきゅう)とは、一般的には胸郭(肋骨などからなる籠状の骨格)をなるべく動かさずに行う呼吸のことをいう。
声楽においては、声を良く出すために呼吸を工夫することを、「腹式呼吸」という言葉で示すことが多い。
引用元: Wikipedia『腹式呼吸』より
簡単に言えば、〇〇式呼吸とは、
- 「肺を動かす時(呼吸の時)、主にどこを動かしますか?」
という質問に対する『答え』みたいなものですね。
つまり、
- 腹式呼吸とは、主に『腹』を動かす呼吸
- 胸式呼吸とは、主に『胸』を動かす呼吸
ということです。
『肺』を動かす役割を担っている部分は、『横隔膜(おうかくまく)』と『胸郭(きょうかく)』という2つの部分。
「このどちらを主体として(意識して)呼吸するのか?」というだけのお話です。
「腹式呼吸」と「胸式呼吸」に”大きな差”はない
まず前提として、
- 腹式呼吸と胸式呼吸には、劇的な差はない
ということを、頭に入れておくことは大事です。
試しに『思いっきり息を吸って吐く』という行動を
- お腹を意識する
- 胸回りや肩を意識する
という二つの意識のパターンでやってみてください。
おそらく、若干の差はあるが、そこまで息の量や力に大きな差は生まれないと感じるはずです。
そして、片方を強く意識したところで、もう片方も自然と動いていると感じると思います。
基本的にお腹と胸(横隔膜と胸郭)は連動しているので、どちらか一方の動きを”完全に”止めようとしても、おそらくできないでしょう。
どれだけ胸を動かさないように・お腹を動かさないようにしても、呼吸する時点で両方動いているということです。
人間は「息を吸う・吐く」という行動に対して、自然と最適な動きをするようになっているので、何か特殊な意識を持ったとしても、そこまで”劇的には”変化しないのですね。
「腹式呼吸」のメリットは、最大呼吸量が増える
二つに”大きな差”はないですが、”小さな差”は生まれるとも考えられます。
「横隔膜(お腹)は、意識や訓練次第で可動域が大きく変わってくる」「胸郭の動きはそこまで鍛えられない」ので結果的に、
- 横隔膜は動かしやすい(拡張しやすい)
と考えることができます。
この拡張することを「腹式呼吸」と定義することもあるでしょうし、この拡張によって『肺に溜めておける息の量が若干増える』というメリットがあります。
要は『一度に吸える息の量が増える』ということですね。
一度に吸える息の量が増えるということは、その分使える息の量が増えるので、「息の持続力」「息の瞬発力」が共に強まることになります。
ということは、
- 一息で歌えるフレーズが長くなる
- 声量が増える
などのメリットが考えられます。
『このメリットの必要性がどれくらいあるか』というのが、腹式呼吸の必要性を考える一つの鍵ですね(*後ほどまとめます)。
腹圧呼吸(もう一つの腹式呼吸)
上記の腹式呼吸が一般的に語られることが多いでしょうが、声楽界では『腹圧呼吸』のことを腹式呼吸と言う場合もあります。
腹圧呼吸とは、
『なるべくお腹を膨らませたままの状態』で息を吸ったり吐いたりする
というもの。
つまり、息を吐くときになるべくお腹をへこまさないということです。
お腹を膨らますことを「腹圧を高める」などと言いますし、声楽では『アッポッジョ=支え』と言います。
-
声の「支え」について【”腹圧”と横隔膜の動きが重要】
続きを見る
詳しくはここでは省略しますが、主にクラシックなどの声楽歌唱において大きなメリット(喉仏が下げやすい+最大呼吸量の確保)があるのですね。
なので、クラシックにおいて「腹圧呼吸は必要だ」という流派もあるでしょう(*流派による)。
つまり、クラシックなどではこの腹圧呼吸のことを腹式呼吸と言ったりする場合もあるので、「腹式呼吸は必要だ」「必要ない」などを語る場合、その”腹式呼吸”自体を明確に整理する必要があるのですね。
腹式呼吸の必要性
以上までの内容から、以下の二つの点
- 「ポップス」か「クラシック」か
- 息と声帯の連動性能
を考えることで、腹式呼吸が必要かどうかを考えることができます。
①「ポップス」なのか「クラシック」なのか
先ほど述べたように腹式呼吸は、
- 腹式呼吸
- 腹圧呼吸
という2種類の考え方が存在します。
クラシックで腹圧呼吸を使う流派であれば、有無を言わさず「必要」と言えるでしょうし、通常の腹式呼吸だとしても、クラシックにおける必要性は高いかもしれません。
なぜなら、クラシックは一度にたくさんの息の出し入れが必要になるからです。
というのも、クラシックは『マイクがない前提の歌唱方法』です(*全く使わないわけではないが、前提はマイクなしですし、使ったとしてもポップスのようなダイナミックマイクはほぼ使いません)。
その身一つで、大きな声を会場に響かせる必要があるので、たくさんの息の量が必要になります。また歌のフレーズも長く伸びやかなフレーズばかりなので、そういう点でもたくさんの息の量が必要です。
つまり、
- クラシックは、とにかく『たくさんの息の量』が必要になる
のですね。
ということは、一度に出し入れできる息の量を増やせる腹式呼吸が必要になることも多くなると言えるでしょう。
クラシックが「姿勢」「呼吸」など全身をフル活用している大きな理由は、『マイクのない前提の歌唱方法だから』とも言えますね。
クラシックはマイクがない前提なので、声量(実質的な音量)が大きければ大きいほどにメリットになります。
つまり、息の量は多ければ多いほどにメリットが生まれるので、結果的に腹式呼吸は必要だという結論に至ることが多いということです。
では、ポップスは?
ここでのポップスは『マイクを使う前提での歌唱スタイル』のことを指すものとします。
そうすると、ポップスはクラシックほど腹式呼吸の必要性がないというか、『あってもいいけどなくてもいい』くらいの感じになるでしょう。
まず、マイクが口元にあるので、声を遠くまで届けるための声量(実質的な音量)は、そこまで必要ではありません。どちらかと言えば、必要なのは『マイクによく通る声』です(*ポップスでは、これを声量と言ったほうがいいのかもしれませんね)。
また、「フレーズの面」でも、クラシックのように長く音を繋げる必要性もそこまでない。
さらに言えば、自分の好きなタイミングでブレスを取ってもいいわけです。
こういう点で、
- 「一度に吸える息の量を増やす必要はない」=腹式呼吸は必要ない
と言えることは多いかもしれません。
何よりこれは、ポップスのシンガー達を観察していればなんとなくわかることでしょう。
ポップスのシンガーは、クラシックのシンガーと違い動きまくっていますし、姿勢も気を配っているようには見えませんよね。
おそらく、シンガーを見て「これ絶対腹式呼吸とか考えてないよ」と感じることは、結構あると思います↓
呼吸のために、お腹がしっかりと動いたりもしません↓
このようなことを考えれば、ポップスにおいては、”腹式呼吸そのもの”が歌声にとって重要なわけではないとも言えるでしょう。
しかし、ポップスにおいても、「腹式呼吸が重要だ」と言われることはあると思います。
これは、次の「息と声帯の連動」に関する点でそう言えると考えられます。
②息と声帯が連動しているかどうか
まず、息と声帯の連動しているかどうかとは、『息をしっかりと使う発声ができるかどうか』ということです。
- 《息と声帯が連動している状態》は、息の流れにしっかりと声を乗せることができている状態です。
- 《息と声帯が連動していない状態》は、息の流れに声が上手く乗らない、息を強く吐くと単に息っぽくなりすぎたり、普通に発声すると息の流れ不足だったりする状態です。
ここで②の人、つまり息と声帯が連動していない人が腹式呼吸を意識するとします。
そうすると、腹式呼吸を意識することによって、『息の流れ』『息の使い方』をたくさん考えることになります。言い換えると、自然と『息がしっかりと流れる発声』をトレーニングしていることなります。
具体的な流れとしては、
- 腹式呼吸を意識する
- 息をしっかりと吸ったり吐いたりしながら声を出すことを繰り返す
- 結果的に、しっかりと息が乗った声を出す練習になっている
- 息と声帯が連動してくる
という感じです。
これが、ポップスにおいても「腹式呼吸を身につけなさい」と言われる理由になります。
要するに、腹式呼吸は『方法・手段』ではなく『トレーニング』になっているのですね。
つまり、
- すでに息と声帯の連動性能が高い人にとっては、「腹式呼吸は必要ない(あまりトレーニングにならない)」
と言えるでしょうし、
- 息と声帯の連動性能が低い人がそれを高めるためであれば、「腹式呼吸は必要(役に立つ)」
と言えるでしょう。
要するに、
- 腹式呼吸を習得する→歌が上手くなる
ではなく、
- 腹式呼吸を意識して歌う→『息と声帯の連動性を高めるトレーニングになる』→歌が上手くなる
という方が正確だろうと考えられます。
逆に息と声の連動がしっかりとある人、息のコントロール能力が高い人は、腹式呼吸なんて考える必要はないとも言えるわけです。
-
息に声を乗せる【”息の重要性”と声帯との連動性について】
続きを見る
「呼吸方法」に”こだわりすぎる”のは、良くない?
以上のようなことから、”腹式呼吸”の必要性は人それぞれ違ってくるのですが、どんな場合においても
- 呼吸方法という”型”そのものに固執しすぎるのは、あまりいいことではない
と思われます。
というのも、型を過度に意識した呼吸方法は自然な呼吸を妨げ、逆に発声にとって害になる可能性があるからです。
例えば、腹式呼吸を意識しすぎて「苦しい」「変に力が入ってしまう」などの状態では本末転倒です。
人間はある程度自然に呼吸できる生き物でもありますので、腹式呼吸が必要な場合においても強く囚われすぎないようにしましょう。
まとめ
- 歌における腹式呼吸の必要性は、歌うジャンルや個人の能力によって異なる。
- クラシック音楽のように多くの息を必要とするジャンルでは、腹式呼吸が有効な場合が多い。
- ポップスのようにマイクを使用するジャンルでは、必ずしも腹式呼吸が必要ではない。
- 息と声帯が連動していない人にとって、腹式呼吸は息の使い方を鍛えるトレーニングになる。
- 呼吸方法にとらわれすぎるのは良くない。